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岡本養豚の歴史
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昭和37年
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父岡本陸身(むつみ)母由美 結婚。
農業を営みこんにゃくから肉牛の飼育を始める。 -
昭和48年
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30頭ほど飼育していた肉牛をやめ、養豚に切り替え始める。
牛の価格がよいときであったので、周りからは「やめるのはもったいない」といわれたが、今だからこそやめるのだと決断。 -
昭和50年
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全頭養豚に切り替わる。
当時は、助成金制度もなく、急斜面の土地に山から切り出した丸太で豚舎を建てた。今主流であるLWDを飼育していた。 -
昭和56年
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埼玉種畜牧場(現在のサイボクハム)の故田中洌さんに中ヨークシャー種を見せてもらい「まだこの豚がいたのか」と目を光らせた。個人養豚がこれから先、生き残っていくのは企業養豚ではできないことをするしかないと思っていたので、この豚を活かそうと思い、3頭その場で購入を決めた。
中ヨークシャーを活かすのは簡単ではなかった。試行錯誤を繰り返し8年の歳月を費やし、追い求めていた味第一の豚肉が出来上がった。 -
昭和59年
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娘の佳世も養豚に加わる。
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昭和60年
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LWDから中ヨークシャーを基礎豚とした養豚に切り替わる。
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昭和62年
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全頭を故田中洌さん紹介による東京の消費者団体と契約し、差別化の流通が始まった。この流通により、生産者と消費者の顔が見え安心安全の販売が始まった。
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平成10年
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消費者団体との契約をやめる 味の評価でなくなったと感じ、養豚職人としての誇りを大切に思い、味の評価をしてくれる売り先を求めた。
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平成11年
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市場に放り出された岡本養豚の豚は、うまいのだけれど脂が厚いため、格付けが落とされ、赤字豚となり赤字経営となる。
売り先を作るにしても名前が必要だと、商標登録「千代幻豚」を申請した。名前の由来は、長野県飯田市にある「千代地区」で、養豚をさせていただくことに感謝し、ここで生まれ育った地名を入れ、今は幻の豚といわれる中ヨークシャー種を大切に次世代に伝えたいという願いを込めて「千代幻豚(ちよげんとん)」と父が名づけた。 -
平成12年
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パック販売の許可を取得。この後13年までに味を評価してくれる精肉店、料理店、デパートの流通を娘の佳世が開拓する。
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平成13年
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世界のソムリエ田崎真也さんや長野県前知事田中康夫さんに出会う。テレビや新聞・雑誌などに紹介され多くの方に名前を知っていただけるようになった。
このとき、すでに全頭流通が出来ていたので、販売先での売りが楽になったといわれた。現場の仕事は楽ではなく佳世はこの年に頚椎ヘルニアの手術をし、養豚作業をすることにドクターストップがかかった。がしかし、目の前にある仕事は次々にこなすこととなる。岡本陸身が「千代幻豚」の商標登録を取得した。 -
平成14年
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東京農業大学教授小泉武夫さんに出会う。
千代幻豚を使った地域お輿をしたり、循環型農業を実践し、関係農家を流通に結びつけた。父が腰椎狭窄症のため手術。佳世飯田市の女性農業者優秀賞を受賞。アルバイトを週2日雇う。 -
平成15年
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佳世結婚
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平成16年
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従業員を雇う。中ヨークの凍結精液での受精に成功。
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平成18年
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信州ブランドアワード2006にノミネートされ、入賞 個人での受賞は珍しい。
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平成19年
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陸身食道ガン手術。たくさんの試練を乗り越えながらご愛顧いただいている皆さんの笑顔につながる豚肉作りに、岡本養豚一同日々努力しています。
田崎真也さんの番組で、日本一の豚肉として紹介していただいた。父を日本一の養豚職人と認めていただいたような気がします。